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東京都クラブ選手権大会
20年のあゆみ
=1985〜2004=
■草創の頃
 東京都クラブ選手権大会は成人式を迎えた。クラブ大会の優勝チームが日本選手権に出場できるようになった2004年、ここまで成長したクラブ選手権の20年を振り返ってみたい。
 20年前のラグビー界は、第2次ラグビーブームと呼ばれるラグビー黄金期であった。早明戦には国立競技場が6万の大観衆で超満員になる状態が続いていた。テレビで、競技場で、ラグビーを観戦した人の中には見るだけでは飽きたらず、自分たちもラグビーをやってみようという人たちが、各地でクラブチームを結成し始めていた。全盛期の東京都には、協会登録チームだけで280チーム、登録していない所謂「草ラグビーチーム」を加えると、350を優に越えていた。
 しかし、今となっては信じられないことだが、47都道府県の中で東京都にはラグビー協会が存在していなかった。首都東京は、云ってみれば“幕府直轄地“。関東協会が片手間に東京都の事務処理を行っていた。従って、クラブチームの面倒を見る協会組織が存在しない中でクラブチームが激増し、クラブは結果的に放任され日陰者扱いされる状態が続いていた。

■エーコン、エリス、くるみクラブの御三家
 元々日本の「クラブ」というカテゴリーは、戦前の大学クラブに起源を持つ。慶応義塾や早稲田の中に生まれたJSKSやBYB、GWRCなどである。慶應JSKSは75年の歴史を持つ。
 戦後のクラブは、敗戦の中から1946年にエーコンが誕生し、続いてエリスが生まれた。物資が極端に不足していた時代、戦場から帰ってきたラガーメンが持ち寄った様々な色合いのジャージを、染料がなかったので墨で染めてエーコンのジャージが誕生した。エーコンの黒色ジャージには、そういう云われがある。
 くるみクラブは1965年、中央大学の桑原寛樹氏が担当する体育授業から誕生した。「初心者を大切にする心」を見事に実践し、自分達のラグビー環境は自前で作ろうをテーマに、都内にクラブハウスを兼ねた寮を、宮城県蔵王には広大な敷地のグランドとクラブハウスを所有する日本で初めてのクラブ組織を作り上げた。学生チーム18、社会人6チームが活動し、文字通り、日本のクラブチームの牽引車の役割を果たしていた。
こういう「由緒正しき」クラブの中に、雨後の竹の子のように街のクラブチームが次々と出現することとなった。

■最初は「クラブ交流トーナメント」
 クラブチームが急増する中、東京都にクラブの大会を発足させようという声は日増しに大きくなっていった。そこで、エーコン、エリス、くるみが中心となり、クラブチームの相互交流を計る大会を立ち上げようという呼びかけが行なわれた。当時、東京には協会とは無関係の任意のリーグが幾つか結成されており、それぞれが自己完結的に独立した活動を行なっていた。盟主3チームの呼びかけに呼応し、首都、三多摩、ソフィア、東京の各リーグ、それに学生チームの関東六大学、研修、カレッジの3リーグが参加を表明した。
 こうして1985年春、<東京都クラブ交流トーナメント>がスタートすることになった。東京都におけるクラブチームを統合した初めての大会である。
第1回大会は、各リーグの代表を交えた16チームによるトーナメント方式で実施された。英国大使・ジファード卿よりチャンピオンズカップを戴き、大会名に<サー・ジファード杯>と冠がつく大会となった。決勝戦は5月5日、東京海上のグラウンドで、エーコンとくるみクラブとの対戦となり、28−16でエーコンが第1回大会の覇者となった。レフリーは、斎藤直樹氏(エリス)であった。表彰式では、ジファード卿自らがカップを授与される光栄に浴した。



■東京都クラブ連盟の設立
 <クラブ交流トーナメント>の成功は、東京のクラブチームに組織化の機運をもたらした。せっかく作った大会実行委員会を1回だけで終わらせるのはもったいない。恒常的なクラブチームの連絡機関にしようではないかということになった。こうして、1987年「東京都クラブラグビー連盟」が発足することになる。
 しかし、クラブ連盟の立ち上げには様々な困難があった。何よりも関係者が集まって打ち合わせをする場所がない。事務局をどうするかも大きな障害となった。何しろラグビー協会とは無関係の団体なのだから、協会の施設は使えない。しかし、そこはさすがクラブチーム。事務局は練馬区にあったくるみクラブの石神井寮に専用電話を引いて対応した。会合等は秩父宮ラグビー場隣のマンションの一室にあったエーコンのクラブハウス「ネスト」を使うことで解決した。
 クラブ連盟の発足パーテイは、鉄鋼会館に50チームが集まる盛況ぶりであった。連盟の初代会長には楠目皓(エーコン)、理事長に高橋隆(くるみ)の各氏を選出し、志摩武司(エリス)、橋本龍児(ガールズ)、奥村敏明(ぜんかいビアーズ)などのそうそうたる理事諸氏が運営を背負って立った。また、伊藤保郎(関東協会理事)、真田洋太郎(関東レフリーソサエテイ)、中川幸博(関東レフリーソサエテイ)の各氏が顧問となって連盟を支えた。特に、真田洋太郎氏(早大GWOB/エーコン)は連盟発足以前からクラブチームの面倒を見続け、「大会にはグランドも必要だが、レフリーがいないことには始まらない。クラブでレフリーをたくさん育てよう」と自ら先頭に立ち、レフリーの発掘・養成に尽力を重ねた。東京のクラブチームのほとんどは、チームを立ち上げる時、真田氏のお世話になっている。
 こうして、東京都のクラブ大会を担う団体が発足した。大会名は「東京都クラブラグビー選手権大会」と銘打つことになった(大会数はトーナメント時代から通算した)。また、連盟に加入した全てのクラブに出場資格を認め、リーグの成績に関わらずフリー・エントリー制で出場できるように改めた。出場チーム数は48チームと飛躍的に増加した。大会要項その他は、同じころ発足していた大阪府クラブ大会のものを参考とした。大阪大会も今年で20年目を迎えた。なお、同じようにチーム数が急増していた学生クラブのために、学生だけの独立した大会を立ち上げることになり、1987年に「東京都学生クラブ選手権大会」が発足した(学生クラブの大会は、首都圏の全てのチームに参加資格を拡大して、関東学生クラブ選手権大会へと発展してゆく)。

■東京都協会が発足−クラブ委員会へ移管
 クラブ連盟の発足と軌を一にして、47都道府県の中で唯一協会がなかった東京都に、47番目の支部協会として東京都ラグビー協会が発足した。都協会の管轄するチームは、大学、社会人、高校、クラブ、スクール等780チームの規模を誇り、そのための各種委員会が設けられた。しかし、大会の主催は従来どおり、関東協会が管轄(対抗戦、リーグ戦、関東社会人リーグ)する方式が踏襲された。但し、高校大会は関東高体連とともに、東京都協会・高校委員会が主催するようになった。
 残るクラブとラグビースクールをどうするかが問題となった。そのうちクラブに関しては、東京都クラブ連盟を発展的に解消し、東京都協会・クラブ委員会が発足することになった。初代クラブ委員長には、真田洋太郎・東京都協会理事が就任した。また、真田氏はレフリーソサエテイ委員長にも就き、文字通り、大会作りとレフリー育成を同時並行で実践することになった。
 東京都クラブ選手権大会は、第6回大会から正式に東京都ラグビー協会が主催する大会となった。移行期には協会主催、連盟主管という時期が続いたが、クラブ委員会が連盟の後を継ぎ、大会の主管のみならず東京都のクラブチーム全般のお世話をする委員会として機能するようになった。クラブ委員会の委員は、全員が各クラブの主務やスタッフ経験者であり、現場感覚に研ぎ澄まされた委員会活動を実践していった。
 服装や規律の乱れに関しては仲間内の「談合」を排除し、当たり前のことが当たり前に実行されるように毅然として対応した。協会の通達や用具類の変更等にも迅速かつ完璧に対応し、ジャージ・パンツ・ソックスの統一、背番号、用具類の通達等を完全履行した。このことが「クラブは強くはないかもしれないが、マナーや大会運営は日本一」との評判を勝ち取っていった。
 東京都クラブ選手権の発足と、協会主催によるクラブ大会の成功は、上位のクラブ大会発足を促がした。1991年には関東協会管下の17都道県エリアを網羅する「東日本クラブ選手権大会」が、1993年には関西・九州協会のクラブ大会との連携の上に「全国クラブ大会」が発足した。いずれも今日に至るまで順調な大会運営が続いている。

■大会システムの拡大と主役交代
 都大会は年々参加チームが増えていった。最初は大トーナメントで大会を実施していたが、やがてブロック制を採用すべきとの意見が多数を占めるようになり、第9回大会から2部制、翌年から3部制、第12回大会からは、現在のように4部制の大会となった。クラブ間の実力差が目立つようになっていたので、ブロック制はそれぞれの実力に見合ったチーム同士の対戦が実現し、各部の優勝・準優勝チームが決まることで、大会はいっそう活性化していった。
 トップレベルの1部では、発足当時のエーコン、エリス、くるみクラブの御三家に代わって、曼荼羅、三鷹オールカマーズ等が台頭し、東京のみならず全国区のクラブとして活躍するようになった。しかし、三番手以後が登場しておらず、東京都のクラブの実力番付は、全国的に見れば<二強全弱>状態にある。人口比からみると、全国区に通用するクラブは、もっともっとあっていいハズだが、三番手以後の実力チーム育成が東京都の課題である。
 他方、クラブチームの強さとは何かを問い直す運動も顕著になってきた。単に、競技力だけでなく、組織力、運営力、地域への貢献度など、様々な切り口の「強さ」がある。クラブ大会への出場が契機となって、組織化への途を歩み出すクラブも少数派ながら登場してきた。旧来のクラブチームのイメージは、高校や大学でラグビーを少しかじった選手がクラブに入るも、たいしたトレーニングはせず、学生時代の蓄積を使い果たした時点でラグビー人生が終わり、知らぬ間に辞めてゆく。跡には何も残らない。また、クラブ運営は熱心なオッサンか一握りの人間だけが携わり、後のメンバーは「お客さん」化してしまう。こういうチームの「出来ては消え、出来ては消え」の連続が、クラブチームの実情であった。
 しかし、生涯ラグビーに関わって行ける仕組みを作ろう、選手が終わったらサヨナラでは淋しい、子供世代と一緒にラグビーを楽しみたい・・・・、そのためにクラブチームは何が出来るのか。東京のクラブの間でもようやく「同好会」や「サークル」の類ではなく、本物の「クラブ」を求める活動が芽生え始めている。

■チーム競技委員、コラボレーション・システム、帯同レフリー制度の導入
 クラブ選手権の運営にあたっては、大会活性化のため、毎年様々な新機軸が導入されてきた。
 まず第1は、「チーム競技委員」制度。これは、大会当日、各クラブから競技委員(運営責任者)を一人選出し、グランド到着から帰宅するまで、その者が全責任を持って大会本部との間に立ち、かつ、自チームを統括して行くという制度。この制度の発足により、ゲーム面はキャプテン、運営面は競技委員と棲み分けができ、大会運営の円滑化ばかりでなく、各クラブの組織化を促がす契機ともなっている。
 第2は、「カップ・コラボレーション」システム。都大会は3ヶ月もの長期の間、毎週にわたって1日8試合(2面同時並行)が行われる。会場の設営と撤収、試合の管理、選手やレフリーのケアーなど、膨大な仕事量に達する。そのため、その日試合の全くないクラブが終日グランドに詰めて、これらの業務を請け負うのが「コラボレーション・システム」である。クラブ選手権に参加したクラブが、丸1日大会運営だけに携わることで、運営面の苦労だけでなく、組織を動かすとはどういうことかを自ら体験し、勉強できる好機となっている。
 第3は、「帯同レフリー」制度。これまでもクラブチームから公認レフリーを育てようとの呼びかけに呼応して、多くの公認レフリーがクラブから誕生して来た。その中からはC級のみならず、B級、A級というトップクラスも生まれている。都大会では、それを一歩前進させ、2008年度までに全クラブに公認レフリーの帯同を義務付けることになった。近代ラグビーはルールに対する熟知度が上がらないと強化は不可能である。自クラブに公認レフリーがいることで、ルール面からの強化を日常的に行うことが出来るようになる。
 クラブ委員会では真田洋太郎氏の遺志を継ぎ、クラブ委員会内にレフリー小委員会を設置した。すでに全出場チームを対象に公認レフリー志望者へのマン・ツー・マンによる育成が始まっている。

■クラブの「知性」を結集して
 今年、東日本クラブ選手権大会の再編により、クラブトップリーグ(仮称)が発足する。このトップリーグには、東京から曼荼羅と三鷹オールカマーズとが参加し、その結果、この2チームは東京都クラブ選手権から抜けることになった。「二強」が抜けたことで、東京のクラブチームにはどこにも優勝のチャンスが出てきた。そのチャンスを我がものとするのはどのクラブなのか、興味津々である。
 クラブラグビー・シーンは、新たなステージを迎えている。日本選手権へ途が開けたことで、クラブにも大学や社会人チームと同等の強さが求められている。しかし、単に強いチームを作ることが日本ラグビーの発展をもたらすことにはつながらない。クラブでなければ出来ないやり方、クラブならではの手段や方法で、地域に根ざした組織を作ること、これがこれからのクラブチームに課せられた社会的責務であろう。
 「ナンバーワンより、オンリーワン」とは、よく使われるフレーズである。しかし、オンリーワンになるためには、ナンバーワン以上の独創性(オリジナリテイ)、行動力、リーダーシップがないと成功しない。地域に根ざしたクラブ組織をどうやって作り出して行くのか、クラブチームの「知性」が問われる時代を迎えている。

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